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yuuの一人芝居

yuuの一人芝居

大風呂敷の中の小石  毎日新聞連載

ここに載せているのは連載する前の走り書きです。ほんの一部です。
改めて掲載誌よりワードにうち載せます。


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  毎日新聞随筆


毎日新聞随筆「大風呂敷の中の小石」

                                           吉馴  悠

~ ぶらりとわが家に転がり込んみ住みついた三太郎という猫が、私と柿本源内という作家を巡り合わせたのだ。実を言うと私は犬猫が好きではなかった。嫌いな原因は、靴も履かず下駄も履いてないと言うことだった。特に猫はどこをほっつき歩いて帰ってくるか分からず、拾い食をしどんな黴菌を腹の中に貯え帰宅するか分からないということもその因であった。出て行き帰ってこなければいいと思っていると、ガラス戸を叩き開けろと命令をする。じっと見ていると玄関で足の裏と汚れた毛をせっせと舐めているではないか。清潔な奴だと感心した。それが居候を許し、心を開き、友情関係を成立させるもとになった。源内先生とどのような関係があるのかと思われるだろうが、三太郎の事を書かなければ源内先生の事は分からないからどうかもう少し我慢しお付き合いを願いたい。だんだんと三太郎に興味が湧いてきた。これも物書きの好奇心、出歯亀根性という奴だ。なかなか面白い。こ奴を主人公にして小説を書いてやろうと考えたのだが、大大作家の夏目漱石が「我輩は猫である」と言う作品をいち早く書いておられる。はたと私の脳細胞は固定した。だがここで後に退くようでは物作りではないと堅くなる体と心を揉みほぐした。恐がることはない。私の故郷の先達、宮武外骨は色々の手段を用いて官憲を欺き、世の喝采を浴び、色々の雑誌を次から次へと出したではないか。三太郎を観察しそれを原稿用紙の上に書き出来上がったのが「三太郎の日記」であった。が「三太郎の日記」とはこれまた恐れおおい題名であることに気付き「三太郎の記紀」。倉敷演劇フエステバルの作品をどう書こうかと思案していた時 三太郎が目の端に映った。私は「三太郎の記紀」を脚色する事にした。紙屑作りの大作家柿本源内の家の居候猫が三太郎であると言う設定だった。また古里の奇人の平賀源内の名を安直に使用した。では、おまえの出所と同じの空海は菊池寛はと言われる方もおられようが、今は勘弁願いたい。源内先生は三太郎との関係の中から生まれたのだ。くどくど書いたがさて、次回から源内先生が、外骨宜しく世間の矛盾を舐め回し舌炎になる事を期待してペンを置くとする。

 どうも世の中には諺を正直に理解してないご仁が多い。世の中が歪んでいるのか、人間の心が邪なのか、そこのところまで詮索する興味はないが。真心を下心と勘繰る輩が多いいのには失望する。その歪み邪は家庭教育にあるのだと言う事が分かっていないのだ。例えば玄関で靴を脱ぐ時に、出口へ靴先を向けて揃えるという躾は家庭教育なのだ。が、お隣の韓国の人に言わせるとそれは躾ではないと言う。何も揃えなくてもいいではないか、躾はもっと他にあろうと言う事らしい。が、それが文化の違いというものだ。帰る時に履きやすいようにとそこまで考える必要などない。せっかちだ、大らかではないと言う事らしい。その言い分に対して分からなくもない。日本人は何事にもけじめを付けたがる癖?がある。それがいいのか悪いのか、皆さんの考えに任せましょう。その延長で、諺の意味を曲解している事も否めないのだが。例えば、これから美味しくなる茄子。茄子など今スーパーヘ行けば年中売っている。旬の秋茄子はなかなか美美である。故に、かくなる諺がうまれたのだ。

「秋茄子は嫁に食わすな」と。嫁が憎くて美味しい茄子を食わすものかと言う姑の意地悪を連想し、勘違いをしてそう思い込んでいるご仁が実に多いことに、がっかりした事がある。そのような考えしかうまれないから、せっかちだ、大らかではないと言われるのだ。実に言いえて的を得ているのだ。が実に悲しい、そのようにしか言葉の意味を理解出来ない民族をさもしいと思う。中にはその諺の真意を理解しておられる方もおられるのだが、そんな方にお会いすると、涙が出る程嬉しくなる。

 何をおまえは茄子のことで御託を並べて物知り顔に説教をするのかと言うお人もおられようが、茄子になぞらえて、そのように開き直る人々に、少しは人間を信用しては如何かと言いたいのだ。

「秋茄子を嫁に食わすな」と言う諺の意味は、早く孫の顔を見たい、孫を抱きたいと願う姑の切なる思いなのだ。秋の茄子にはアルカロイドと言うお腹を冷やす成分が多く含まれていて妊娠しにくいからなのだ。孫が欲しい母なる願いの諺なのだ。そんな人に会うと心が洗われる。胸が熱くなる。

 平和ボケした国民の渇いた心をより干涸びさすような猛暑が続き、あちらこちらと給水制限が行なわれた。蛇口を捻っても水が出ず、人は戸惑い、断水時に使用する為に汲み置きをするポリ馬穴が飛ぶように売れた。

 水は無限ではないと言う事を二十数年前に叫んだことを思い出した。公害についての意識が芽生え、市民運動も盛んであった頃だった。その渦中に私もいた。水島の空は泥を流したようだった。周囲の山は夏の間中見えなかった。オキシダント注意報が出る前には百メートル先の家が見る間に姿が消えた。川から鮒やザリガニがいなくなり、悪臭が鼻を突いた。川を殺したのは中性洗剤、合成洗剤が原因であると言いだした。

 盛んに料理の後の廃油で洗剤を作る運動が広がっていた。水を汚す事は同じだったのだが。その考えのもとには水は無限にあるという考えが見え隠れしていた。その人達が、水は有限であるという考えを持っていたならば、運動自体変わっていたであろう。洗剤の改良と、小量の水で洗える洗濯機をメーカーに求めた事だろう。そして、下水道の完全完備の必要を感じたであろう。私の家では粉石鹸、固形石鹸と酢と塩だけの生活に変えていた。クリニングにも出さず、美容院、にも行くなと家族に伝えた。シャンプの代わりに固形石鹸を、リンスは酢で代用し、歯は塩でと言う具合に使った。ただの石鹸を使うことで解決をするとは思えなかったからだ。家庭廃油と苛化性ソーダーを加熱して石鹸を作っておられた方はそこまでなさっていただろうか。美容院で洗髪をする時にシャンプを使わないでと言ったのだろうか。クリニングに出す時に合成洗剤は使用しないでと言ったのだろうか。水を大切にと考えて運動を始められた方達だからきっと言ったに違いない。市民運動は常に被害者と加害者の関係を露呈するものだ。数年前から忘れられていた石鹸が脚光を浴びだした。児島湖が回復不可能になった事で、また洗剤の良否が起こったのだ。

 渇水のお陰で水の大切さが身にしみて分かり、認識を新たにした。これを期に、水に対しての運動が変わるだろうか。水は人間の命の源であり、無限ではないのだ。

。その頃私達は水より、空に目は向いていた。科学薬品のような匂い、洗濯物に付着する煤煙。工場群の煙突からは五十メートルもの炎が夜空を焦がしていたのだ。その下では新聞が読めたのだ。公害センターの人体に対する影響についての発表は**ppmだから影響はないというものだった。が空には鳥も飛ばず、昆虫も遊んでいなかった。煙の問題に懸命に立ち向かっていたのだ。

 その辺りから、今の渇水が予想できていた。日本に降る雨の量の九十パーセントは海へ流れこみ、僅か十パーセントの水で工業、農業、家庭と使われ、水の有難さなど心の隅にもなかったのだ。



 日本人は蚤が飛ぶのが見えて馬が走っているのが見えないらしい。馬とはご自分の事で、蚤とは他人のことだと置き換えてもいい。また、被害者になりたがる癖がある。肺癌になるから私の前では煙草は吸うな、と禁煙権を言い起てる。その割りには工場の煙突の煙が見えない、ダンプトラックの排気ガスが見えない。そんなご仁に限って、大きな排気量の車を走らしているのだから何をか言わんやである。ご自分だけ煙草の煙を吸わなければいいという考えらしい。愛煙家のマナーにも問題がある。確かに行儀が悪い人も多いいのは否定しない。灰皿のないところで吸ったり、顔を顰めておられる方の前で断りもせず堂々と吸っている。肺癌で死のうがほっといてくれ言わんばかりにである。どちらも食えないご仁であることには違いない。

 煙に巻く話はこの辺にして、被害者と加害者について考えることにしょう。

 市民運動にけちを付けるつもりはないが、こいつがまた曲者である。ボランティアと言う美名に酔ってらっしゃる方が実に多い。日本はボランティアと言う風習がなかった。ボランティアで子供を預かっているのかと思ったら、きちんと保育料を取っていらっしゃる。宗教法人と学校法人を兼ねていらっしゃる。困っている人を救ける、世の為に尽くすという考えがないところにボランティアなどと言う名前を付けるべきではない。 ルアンダの難民キャンプに自衛隊が平和維持軍として派遣されたが、カンボジアの二の舞にならなければいいがと安じている。人を救けるために己れの命のことを考えていては何も出来はしないのだ。ボランティアとは命を張って起こなう善意ある行為なのだ。今の日本人には無理なことだ。だから、PKOの問題一つに国会議員が最も尊重されなければならない憲法を蔑ろにして、喧々ガクガクと都合のいい解釈を試み、国民不在の議論に終始し、拡大解釈をして派遣にこじつけたのだ。ボランティァの延長であってはならない。国際平和を日本も担うのだということを国民に納得させなくてはならない。加害者になっても被害者になってもいけない。人間を愛おしいと思う行為なくして・・・

 勝った敗けたと世間は騒がしくなった。勝ったと喜ろびの酒に酔い、敗けたと自棄酒を飲む。まるで演歌の世界である。

 勝つか敗けるかを人生の目的にしだしたのは、入学試験にある。良い学校に入ることが勝つ事であり、入れなかったら負けなのだ。勝つか敗けるかという区別で人生が決まると考えているらしい。考えて頂きたい。勝つ事だけの生き方が一体何を生むのだろうか。自己主義を生み、自分以外を受け入れないという考えを生む原因を作るものだ。自分さえ良ければ他人はどうなっても良い。それがもとで、干涸びている人間が増えたことか。渇いた心は感動を受け付けないのだ。特に勝ち続けている人達にはゆとりなどないのだ。油断がすぐに敗けに通じるからだ。なんと情けない世の中になったものか。勝った勝ったと浮かれているうちに、敗けた人達が、文学を読み、美術を鑑賞し、音楽に親しみ充実した生き方をしている。どうであろうか、あなたならどちらを選ぶでしょうか。

 オリンピックにしてもアジア大会にしてもどうして金メダルに拘り、面目に拘泥するのか。たしか、我が幼い頃には「参加することに意義がある」という名言があったのだが、その言葉はもう死語になっているのだろうか。国威発揚のためと大時代的な考えが蔓延しているのだろうか。たかが運動会を大きくしただけの遊びじゃないか、気軽にやればいいではないか、と言う考えのお人はおられぬのか。今回のアジア大会に出るために、幼い頃より日がな一日勝つことだけに精を出されたことに対しては、頭が下がるし、可哀相にと同情もする。お国の為、そんな考えは捨てなさいょ。勝負に拘るより、もっと確かな喜びのある生き方があることを知り、それを探してみては如何かな。

 国会議員の皆さんはもどうも、国民の勝った敗けたの後押しに余念がないらしい。国民に闘争心を植え付けておかなれけば、国会で勝っ事だけを考えてる事を理解されないと思っているらしい。

 そう言えば、国会議員の皆さんはいい大学を出られている。いい大学を出て国を動かす人間になるより、人様の邪魔になる石ころを動かす心根が欲しいものだ。



 北の国から紅葉の便りと共に初霜雪の報せも届き、肌を撫でる風の色が変わった。時の移ろいは人間に無関係のようだ。今夏の猛暑だ、断水だのと騒いだ事がまるで嘘のようだ。日本国の総面積の八十%の山地に降る雨量は、大地に沁み込み地下水となり余った水は川の流れを増す。嘗てはだんだん畑がダムの代わりをし、地水となって川を潤したが、山は削り取られゴルフ場とレジャーランドに変わってそれもなくなった。二十%の土地に一億二千万人が犇き喘いぎ、水を無限に使っていたのだ。今年の旱魃で水が有限であると分かり馬穴が店頭から消えた。水と馬穴の有難さが良く分かった。

 風が吹けば桶屋が儲かるの喩、雨が降らなければ桶(馬穴)屋が儲かると変えるべきなのか。

 それにしても、国会で議員さん達は一体何をしているのだろうか。我が身可愛さで議論し、底の抜けた馬穴に何を入れ国民を納得させようとしているのだろうか。消費税率、小選挙区制の区割り、スキャンダル。確か行政改革を国民は求めていたのだが。権力の座を欲しがり信条主義主張を捨ててウロキョロする愚かしさ、何とも貧しい人間を皆さんは選ばれたものだ。議員がこのざまでは、国民は諸外国の良い笑い者になっているのだが。六十年、七十年には、国民が怒りの牽制球(火炎ビン)を投げ、篭城し、権力と戦ったものだったが、今の国民にはそんな怒りも勇気もないらしい。教育によって飼育され裸の王様になった。それは偏に個人主義の悪しき弊害を産み、金持ちの無関心無気力とさらなる権力欲を産んだ。

 権力、権威と言えば、ノーベル賞を受けた大江健三郎氏についても言える。ご苦労さんでしたね。受賞の為に如何に努力されたかは言うまい。だが、文化勲章でボロが出た。両方を辞退していれば拍手喝采であったのだが。文豪らしいけじめか、何とも寒い狭量か。 寒さと言えば、気象庁は暖冬と予測。極寒になると言う専門家もいる。としたら、今から冬眠に備えて脂肪を付けておかなくては。何が起ろうと屁の「かっぱ」と言う方は別。だが、慌てて、馬穴に灯油を蓄め込まないで頂きたい。気象庁の予想が当たりますかな?鳥は高い所に巣を作ったのだが。 何とも痛ましい事件が起こった。いじめによる少年の自殺である。軽々しく書ける問題ではないが、経験から少し触れてみたい。

 生徒を持つ家庭が学校に対してあまりに期待し過ぎているのではないか。何もかも学校に任す勇気がおありなのには感心するが、私にはそんな勇気は持てなかった。 私の愚息が通学していた頃は、校内暴力が盛んであった。友達に殴られ、教師に疎んじられても学校にいる時間に起こった事は一切関与しなかった。学校から帰ったらどんなにいたらぬ親でも子供に対しては責任者である。だからと言うのではないが親の責任で校則に違反するような事もさせた。学校側の干渉は御免こうむった。補導された時のために「一切干渉無用」と書き名前を印した用紙を持たせていた。家庭教育の範疇まで学校教育に入り込んで欲しくなかった。学校と家庭の区別はすべきなのだ。何回か、婦人学級の講師として話させて頂いた時、学校に送りだす前にお子さんの瞳を見ていますかと問うと、全員が俯いた。教育熱心な婦人達ですら薄ら寒い状態であった。瞳を見ればその日の健康状態が分かり、心の有様が見えるものなのだが、そんな余裕はないらしい。各教科の点数ばかりに目が向けられ、瞳の中に有る大切なものに向けられていないということは恐ろしいことだ。点数教育で将来の生活が決まるという貧しい考えが、その根底に見えた。親の言う事が聞けない子供に幾ら教育をつけたとしても、社会に役立つ人間になることは稀であろう。「何をしてもクラスで十番の中にいれば叱られない」と取材先で生徒が言った事が今だに残っている。この考えは学校ばかりでなく家庭でもきっと通用したのだろう。苛めの問題も学校と家庭の教育の問題なのだ。家庭の比重の方が大きい。躾が自立を齎らすのだ。買いたいものが沢山あり楽しい場所が手で招いている。欲しいだろうし遊びたいだろうが、家庭の躾と人間が生きる為に必要な価値観を親が持っていれば誘惑は跳ね退けられる。親の姿を見て子は生きる。被害者の子も加害者の子も。せめて子供にとって教師と両親が最高の教育環境でなくてはならないのだが。子供の瞳は常になにかを語り掛けているのだが。

 今年はどんな鴬の啼き声が世間を飛びかうのだろうか。ふんぞり反っていた人達が、水鳥が餌を啄ばむように何度も頭を下げるのだ。餌とは向こう四年間の議員の席である。能くも出来もしない公約を並べたてられるものだと関心をするが、その手練手管はいかなる役者も顔負けであろう。劇作家の端くれとし議員の出る戯曲を書こうと試みたが書けなかった。人間として書こうとしたから失敗したのかなと反省した。さて、今年は議員になるためにどんな迷台詞が飛び出すか、今から心浮き浮き興味津々として待っている。乞食と役者と議員は三日やったらやめられぬと言うが、役者の事はよく分かるが、議員となると過去の行政手腕と将来のビジョンを熟知してなくては判断がたたぬ。国民のためという言葉は今や打ち上げ花火のようにパァート消え、反対語になった。市長選、県議選、参議院選とあるかないかの衆議院選と選挙の年。今からよく考えて「この人に託す一票後悔票」とならぬようにと思うが、あいも変わらぬ顔ぶれで誰を入れていいのか迷わぬ前から呆れてしまう。「ご馳走と出されてみても箸も出ず」だ。

 この人には出て欲しくない、という人にはマイナス票があればと思う。投票を棄権するという事は当選した人を支持したという解釈も成り立つ。だからマイナス票は必要なのだ。それに重要決議には市民、県民、国民の投票制の導入を実施して頂きたいものだ。委託したとは言えこうもめまぐるしく考えを変えられたら信用などできないからだ。行政改革に期待したが完全に反古にされた。擦った揉んだの末に「小選挙区比例代表」という、イギリス、フランス、が失敗した制度を取り入れる愚かしさにはがっかりした。金が係らぬと言う事は金が係るという事の裏返しなのだ。今、国会がどうなっているか世の国民には分かっているのだろうか。権力分布のややこしさ、名前に党首が誰か余程新聞紙と仲良くしてなくては分からぬ。景気が悪くて青息吐息の国民を尻目に、己れの保身だけしか考えていないという人には立候補を遠慮願いたい。国民が利口なら、選挙が日本だけの問題でなく世界のことだと気づき、有為な人にと考えるのだろうが。侭ならぬ世間。 人がなにかを作るということは生半可のものでは出来ない。まして演劇となると多くの人間が必要で、音響、照明、舞台美術、衣裳、台本、役者が一体にならなくては出来上がらない。三月三日七時から芸文館ホール「良寛」の公演に向けて心を一つにして取り組んでいるが、何度経験しても緊張するものだ。その緊張感が快よさを与えてくれるとなると至上の喜びだ。だんだんとその緊張感が昂り感情の起伏が交錯する、目の色が輝き、頬は紅潮する。動きもきびきびしたものに変わり、台詞もそれにともなって強弱長短が感情を醸しだす。今その渦の中にいてこの文を書いている。

 さて良寛とは一体如何なるご仁であったか、良寛研究家によって様々な説が流布しているが、岡山の玉島円通寺時代の十二年間のことは皆無に等しい。良寛は師の國仙和尚と、仙桂についてすら詩の中で一行で片付けている。劇作家の端くれとしてはほんに都合がいい。創作というのは殆どが嘘八百である。実在の人物ですら、俎の鯉よろしく簡単にペンでさばく。焼くか煮るか、あらいにするか、汁にするか。その料理の腕は作家の技量であるが。良寛を切れない包丁でさばくために多くの本を読んだが、読むほどに良寛像はぼやけた。ただ分かったことは、良寛の生き方がこの世知辛い世の中で出来たらいいだろうなという想いだった。詩僧とも聖僧とも言われ、純粋無垢に自由に生きた。童たちと歌に手鞠は有名だが、僧侶としては落ちこぼれであった。「僧にあらず、俗にあらず」大愚良寛と自ら名乗り、益にも害にもならない生き方をあえて選んだことは、羨望さえ感じた。ブッダは命を等しいと説き、のんびり、ゆったり、いい加減が一番いいと言っているが、宗派を異にしても、今必要なのは生き方として、のんびり、ゆったり、いい加減を再認識しなくてはならないのではなだろうか。良寛の生き方にそれを見たのだ。金が無くてはなにも出来ない、そんな人生にいち早く決別したいが、なかなか良寛の真似は出来ぬ。ならば、今まで通り奇人変人横着者として、良寛を横目で眺めながら生きるしかない。良寛は己が有名になり、褒め讃えられていることに頭を掻いているのでは。 何もなければいいがと案じていると、東京の地下鉄をサリンが襲った。無差別大量殺人である。安全と空気はただだと考えていた都民にとっては青天の霹靂であったろう。松本のサリン事件の時に、サリンという毒物が日本にあり、何処かで使われわしないかと言う協議を持たなかったのだろうか。もたなかったとしたらお粗末である。あらゆる段階を経て、準備万端おこたりなく遂行に及んでいるところを見ると、強かである。余程の訓練を積み計画を検討し、実行に及んでいる。日本国の中枢である霞が関を狙ったとなると政治犯ということになる。だが政治犯なら、犯行声明を出し何らかの要求をしてくるはずであろう。それもないと言う事は、霞が関に恨みがある奴の犯行ということになる。どちらにしても、巻き添えを食らった人達は誠に気の毒である。 そして、このような事件が起きて一番下手な籤を引くのは、国家に対して牽制球を投げていた人達である。曾てGHQが赤狩りをした時のように、国家権力による国民へのファシズム化である。



 「良寛しぐれ」を読んで芸文館に足を運んで下さったご婦人の方達がいた。私は表に出ずに舞台を壊していました。お会いしたかったのですが、申し訳ありませんでした。嬉しくて心で泣きました。 倉敷演劇フェスティバル95’を終えて、確かな手応えを感じました。市民の中に何かが芽生えようとしているという実感です。二十数年前、土倉一馬氏が倉敷演劇研究会を発足させ、その第一回公演の台本を書いた頃は、演劇集団は彼のとこしかなく、演劇不毛の倉敷であったわけです。倉敷で演劇を語るとなると、土倉氏をぬきでは語れないだろう。彼との意見の食違いで、別れて行った多くの人達が別の演劇集団を創った。その頃、私は文芸同人誌を発行しながら頼まれて台本を書いた。彼の踏張りがあったからこそ、倉敷に演劇の芽は枯れる事なく続いたと言って過言ではない。彼の集団が一時期、岡山県の演劇界をリードしたが、今はその脚力は落ちてはいるが営々と続けている彼の情熱には頭が下る。演劇人口の拡大、演劇を市民の中に浸透させた努力は、市民劇場と同等だと思う。

 今回の倉敷演劇フェスティバル95’の成功の影には頑固で融通のきかない一人の男がいたことを忘れてはならない。

 市民の中に文化への芽生えを見たと言ったが、滑稽座にも何人も舞台に出してくれという申し込みがあった。見るだけでなく参加するという方向へ市民の心は向いているのだ。これから市民参加の演劇を創って行かなければと痛感させられた。今回も数名出て頂いたが、良い思い出が出来ましたと喜んで頂いた。そして、また出たいと言う申し出があった。そう言う人達がを集まって演劇を創ろうという集団が「倉敷市民劇団おえん」である。まさに気運がぴったり。新しい今迄になかった演劇を創造してくれるだろうと思う。物から心への時代と言われて久しい、心への栄養は参加することだ。

 先を走った者、これから作ろうとする者、互いに切磋琢磨して市民をその渦に巻き込み、文化という花を咲かそうではありませんか。文化は一人一人の心に咲くものだから。芽を出せ育てと願いをかけて、そーと小声で頑張れと。



 人間は全く救いがたい動物である。過ちを犯しても反省し悔い改めて二度と繰り返さぬという心がないらしい。進化どころか退化しているように思えてならない。善悪の判断が出来ない、と言うことは幼児期どのような教育を受けたのであろうか。学校教育をどのように捉え学んだのだろうか。語学に堪能、数学に化学に優れた才を持ち憧れの赤門をくぐったとしても、その事が何の価値があろう。善悪の区別も出来ない、人の心が見えぬ、何に価値があるかの判断を誘う知恵がない、そんな半端な人間が多くなった。生きる責任を放棄したということか。嘆かわしい



 阿呆らしくて真面目に書こうと言う気がしない。それほど今の日本は堕落している。だが、その割りには危機感も緊迫感もない。お目出度いと言おうか、能天気と言おうか、国民全体が学校教育により、去勢させられている。何を学校で勉強してきたのかと言いたい。かつて毛沢東をケザワヒガシと言った代議士がいたが、その頃の政治家にはまだ情熱があった。真剣に国を蘇らそうという気概があった。が、今の政治家には何を国民に為すべきかの考えなどなく、保身の為よらば大樹の影でうろうろしている小心者の集まりである。国民をよりよい生活環境に導こうとする態度など皆無である。国政を任された人がそのような態度を示すから、国民は人間としての道を踏み外すのだ。国を憂い夜を撤して語るという事もなく、安物のテレビドラマに現つを抜かし、ファミコンゲームに明け暮れ、マンガを見て読書と勘違いをして、考えるという人間の特性を放棄しているのが現状である。今心の時代だと世間では騒いでいるが、その心の置き所が分からなく安易な綺麗事を並べた宗教に若者は突走る。それを責める気はない、が、少し勉強していれば、生きるという事の意味を先達が残した哲学書を読む事で学か、古今東西の文学書を読むことで処世術を学んでいれば、綺麗事の裏が見えるはずである。読書の時間がない生活が、判断を狂わせた大きな要因であろう。詰め込み主義の弊害である。その結果個人主義が蔓延し、精神の空白を生んだといえる。愚かと言うには悲しすぎる。教育も宗教も心豊かな人間形成に必要なものだが、歪んでしまっている。刹那的な行為が残忍な犯罪を生む。

 何もいらん、いほりにくべる一束の薪と、月の明かりの下で手足を伸ばす場所があれば良い。良寛はそう言っている。それを手本とする必要はないが、世知辛い世の中だから心に沁みわたる言葉である。動植物の命を食らって生きている人間にとって、その命を無駄にした生き方をしては不遜である。自分の人生を愛せない、その事も切ないことだ。せめて、己れの人生を愛する時間を持つことから始めようではないか。限りある時間を大切に生きることを知ることが、心の輪を広げることだろう。 正月から体調を崩ずしている。日頃ぐうたらを決め込んでいる罰が当たったのか。症状を分析すると、無気力、無感動、味覚の麻痺と続く。十年間苦しんだ仮面鬱病の再来だ。となるとこれ程厄介な病気もない。人間多少は軽い躁と鬱が繰り返すものらしいが。

 まさに今の日本国の症状に似ている。バブル時代には躁の状態で何でもやたら買い求め浮かれていたが、泡がはじけて溺れてしまった。今は国が鬱病に罹っている。その証拠に、国民は何が起ころうと怒る元気もないというのが良い例だ。全く感覚が麻痺しているのだ。自覚すれば、治療の方法もあるのだが。外から見ればたいした症状もないから横着病に見られる。どうにでもなれと開き直ればなんとかなるが、落ち込み考え込んでしまう。ますます鬱の罠に術中にはまる。こう言う時、鬱病の原因になった素因を見つける事が大切だ。

 私の場合、一年の計は元旦に在りとやたら公演の計画を組んだことが原因しているようだ。日頃から奇人変人横着者と世間から白い目で見られ、後ろ指を差されていることへ反発して、世間を見返してやろうと思ったのが良くなかった。醜い家鴨を信じちゃいけないょ、身の丈で生きよと言った父母の言葉が懐かしい。こう考えられるようになると鬱病も半分は恢復したようなものである

 戦後五十年がむしゃらに走った。走って振り向くと誰もいなかった。トップを走っていると思っていたら最後だった。そして落ち込んで鬱病になった。自動車、繊維、電化製品、一時は日本製は一番優れ物であったが、今ではすべて遅れを取っいる。さて、この鬱病の原因は何か。どうも教育と関係がありそうに思われる。製造国として、国民に与えた教育が原因ではなかろうか。いい学校に行かなくては良い会社に入れない、良い会社に入らなくては収入は良くないという画一的な教育をしたせいだ。社会主義の崩壊に良く似ている。ハードよりソフト、物より心、知識より智恵を蔑ろにしていたつけだ。その価値を認め代価を支払うことをしなかったゆえだ。

 この機会にみんなで文化的な生き方を捜すことこそ、鬱の病に最適な治療なのだが。

 今の世に彼の宮武外骨がいたらどんな記事を書いたであろうか。と想像していたら二晩ほど眠れなかった。彼は出版人であり、書き手であり、国家公務員であった。国家公務員?と頭をお傾げになられるご仁がいるだろう。彼は「滑稽新聞」「スコブル」「不二」「面白半分」その外数十種類の新聞、雑誌を発行し世の出来事を舐め回し茶化し官憲に捕まり人生の半分に近い年数を監獄で過ごしている。つまり国家に衣食住の面倒をみて貰っている。立派な代議士にも相当する公務員ということになる。ここに彼には無断で一つだけ現代の出版物の反乱についてどのように書いているかを紹介しょう。「紙屑買いの犬馬鹿者」

 彼にならって、今話題の住専をいかに書くか「貸した小物に返さぬ大物、どどのつまりはつけは国民」「儲けた遊んだは自分の為、損した困ったわは国民へお裾分け」「知らぬぞんぜぬ赤い舌」「儲けは懐へ、損は血税で」」「国民無視は世の習い文句があるなら投票すべし」「同じ穴の貉が、隠れる穴を探すなり」「儲ける代議士泣く国民、同じ事なら貸し倒せ」 これくらいにして、次はいじめの問題。「いじめは人の為ならず、最後は地獄の釜のなか」「死んで復讐するよりは、今に見ていろ岩窟王」「いじめで泣くより、登校拒否へ、死んで花見が咲くものか」「落ちこぼれ世界の地図を塗り替える」と言うくらいのことは書いただろう。どうも、演劇の公演すまして気が抜けていて切れ味が悪いがご勘弁を願いたい。外骨に「芸者に都々逸や長唄を創っている人」と言われそうだ。彼は物書きをそう言っている。

 歴史の中では、いじめや落ちこぼれた生徒がどれほどの偉業を成し遂げたか。特に有名なのがエジソンである。抱け希望を、いじめに対しての防衛集団を作り給え。死に急ぎをすることはない。一人で考えるな、代議士ほどの厚かましさ持て。あれほどいじめられても屁のカツパで厚顔無恥で生きているではないか。見習え、あの厚かましさは少しは手本としていいかもしれない。

 少し暇になったので、医療免許はないが、「何か相談内科」を開設しょうと思っている。「常識はずれで内科」が専門ですが・・。 倉敷の町に住み二十六年が過ぎようとしている。その間、公害闘争に明け暮れ、文学同人誌を発行し、演劇公演をして過ぎた。今も相も変らずその中で生きているが、その当時の仲間は現実の生活に返った。若かった頃に誰もが見る夢として懐かしんでいるのだろうか。倉敷から文化を発進していた事実を知る人は少なくなった。懐かしんでは老いの証拠、だが、今の倉敷に文化の気配がないし、担う若い人が育っていない事は淋しい。文学不毛の県に成り下がった。演劇、美術、音楽、映画、それらの根底にあるのは人間を学ぶことだが、その欠落があらゆる芸術を薄ペらにした。哲学の欠如、人間の命の価値が希薄になっているのだ。深遠な思考熟慮が足らない。接し方が分からないのだ。

 私は今、良寛、西行の生き方を追っているが、彼らは世の中に何かをしうと言う心などなかった。世間の風聞など歯牙にもかけず己れの好き勝手に生き通り過ぎている。だが、自己に対する心の錬磨は常に怠っていない。書の中に、歌の中にそれは見える。「西行」を一人の名もない男として書き上演しょうと思う。良寛、西行の生き方が参考になりはしないか。二人に共通しているのは、心のゆとりと、自然体である。

 ゆとりの土壌なくして文化は育たぬ。自然との共生、自然を体に取り入れてこそ芸術は花咲く。見えぬ所で新しい芽がと考えたい。 と言うわけで、芸術の肥やしの文学が今こそ必要であるのだが。



 「瀬戸内ムーンライトセレナーデ」篠田正浩監督作品。来年の五月公開の撮影に五月二日から十七日まで滑稽座は役者として出演した。タイトルバックに滑稽座と出る以上気が抜けない。映画「写楽」に出て良い勉強になった。それが舞台「良寛」につながった。長塚京三、岩下志麻、フランキー堺、高田純次、羽田美智子、西村雅彦、火野正平、等の脇を固め、エキストラを先導するのが役目。現場は熱気ムンムン、役者もスタッフも映画が大好きで、時間、銭という勘定抜きの仕事。舞台の方が楽だ、がまた違う緊張感が伝わって来る。慣れるとカチンコの音が心地よく感じられるから不思議。 今、福山のみろくの里が日本の映画制作の場に変わろうとしている。三年先までの撮影が予定されていると聞いた。日本のハリウッドになる日が近いと思う。日本で一番雨が降らない、湿度が高くない、自然が残っている。宿場、江戸の町並み、広大な敷地にはオープンセツトが造られ、スタジオも完備。京都の太秦より条件はいい。協力する地場企業があり行政も応援。エキストラの質もいい。地域全体が福山をハリウッドにと言う思いが強くあるようだ。福山には新しい風が吹きはじめている。一時間で行ける倉敷の劇団は役者として演技を研き備えておかなくてはならない。いずれ、役者としての出演が多くなろう。大小の劇場を持ち常に上演されている演劇の町倉敷になっていてこそ、倉敷が日本のブロードウェーになれる。倉敷が変われるのは何時か?





 
 今、演劇界では一人芝居が流行らしい。十月には玉野市で。十二月には名古屋市でアクターズ・フェスティバルが行なわれ、全国からの公募で五団体。いずれも一人芝居の公演である。北陸の人口四五百の村で仲代達矢が率いる「無名塾」が一ヵ月間の公演を行なった。全国各地で特色のある演劇フェスティバルが盛んになっている。演劇は地方が熱くなった。

 倉敷演劇フェスティバルも来年には五回目。毎年参加団体も増え、鑑賞人口も増加しているが、自主公演を一回もしないで、公演援助のある、フェスティバルだけへの参加も増えていることも事実だ。演劇を公演するということは金のかかることなのでその事を一方的に批判するつもりはない。演劇馬鹿は一年に何回でも舞台にあがりたいものだ。

 名古屋の例をとると、脚本・役者の技量(過去の公演記録ビデオ)・劇団の沿革の審査があり、選ばれるのだ。その審査の是非はさおいて、今はなにも言わずに名古屋を見守り、成功を願おう。

 さて、わが劇団のことをチョット。今「平家物語」に登場する人物を舞台化しようとしているが、その中でも西行法師が面白い。公卿、武士の争いにも加担せず、平家の盛衰を、源氏の内紛を眺め、おのは花と月の歌を詠み時代の流れを見つめていた西行。私にはあなたが平家物語を語れるただ一人の人のように思えるのです。何も言わなかったのは身近過ぎたのですか、無常感ゆえですか。これからも、あなたを書く事で謎を解きたいと思ってます。あなた一人を舞台にあげて、一人芝居として。



 


 何もしなくて、否何も出来なくてこの二ヵ月ただぼんやりと過ごした。寝てるか本を読んでいるか、テレビを観ているかだった。書かなければならない台本は五本あったが取り掛かっただけで進んでいない。つくづく体力の限界を知った夏だった。外に出る勇気がなくてオタクを決め込んだ。

 数日前から夜には鈴虫が喧しくなった。その鳴声は秋の訪れを教えてくれ、自然の確かな営みを感じさせてくれる。心地よい響きは穏やかな精神を与えてくれる。鈴虫の鳴声を妨げないように足音を忍ばせながら身を移す。

 古人はその音に足を止め自然を慈しみ、花鳥風月に馴親しみ共に生きられたのは、それはゆとりと雅性だったのだろうか。

 煩わしい人間社会の雑毎から逃避し、自然の中の語らいに身を置きたいと考えだしてもう何年になるか。他の動植物と話が出来れば、どんなに素晴らしいだろう。

 自然は蔑ろにしている人間に色々と文句があろう。だが、愚かな人間は聞く耳を貸そうとしない。四季の移ろいを気付きながら、美しさを愛でても、自然の痛みまで感じることはないだろう。その無感覚がやがて自らに跳ね返ってくることを忘れて、他を顧みない生き方をしている。

 空耳か今、三十年前に聞こえていた瀬戸内海の啜り泣きが日増しに大きくなり、私を苛立たせる。鈴虫の鳴声も私には叱咤に聞こえる。自然の叫びを真摯に受けとめ、鈴虫の鳴声に感化され勇気を出し、泣き言を言わずに人間社会に警鐘を鳴らそう。演劇という表現の場を持ている者として。


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